司馬遼太郎さんのおすすめ小説

司馬遼太郎さんのおすすめ本のコーナーです。

歴史小説・恋愛小説・推理小説・ミステリー小説・現代小説・純文学など、読書好きで小説ファンのわたしが、最近話題の本やこれまでに読んだ本のあらすじや感想、書評、そして、面白いおすすめ小説を紹介しています。

特に、ここに『 おすすめ小説 』として紹介した司馬遼太郎作品は、わたしが読んだ司馬遼太郎さんの小説の中から、『 感動した小説 』や『 おもしろい小説 』 などを管理人の独断と偏見で選び、各々にあらすじや感想、書評を記載して一覧にしたもので、これからも随時更新していく予定です。


司馬遼太郎さんのプロフィール

司馬遼太郎さんは、母の実家である奈良県葛城市で幼少時代を過ごしました。
『梟の城』で第42回直木賞を受賞、41年に『竜馬がゆく』、『国盗り物語』で菊池寛賞受賞、47年には『世に棲む日々』で吉川英治文学賞受賞など、司馬遼太郎さんには数多くの受賞作品があります。
司馬遼太郎さんが亡くなった2月12日の命日は、筆者が愛した野の花にちなんで『菜の花忌』と名づけられました。
司馬遼太郎、1923(大正12年)生まれ、大阪府出身。享年72歳。




★ 翔ぶが如く

翔ぶが如く1

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明治維新の立役者となった西郷と大久保、そして彼らを取り巻く人物像を通し、征韓論から西南戦争終結までの激動の時代を描いた小説です。

「征韓論」を主唱する西郷隆盛とそれに反対する大久保利通、ともに明治維新の立役者となった二人の対立は、いまや日本国の存亡を賭けた抗争にまで沸騰していた。
そして、明治六年、廟議において敗れた西郷は故国の薩摩へと帰り、また、彼を慕う薩摩系の士官達も続々と東京を去って行った。
翌年、内戦への不安が高まるなか、西郷に続いて官を辞した元司法卿の江藤新平が、突如、佐賀で叛旗をひるがえした。
この乱に素早く対応した大久保は、首謀者の江藤に弁明の余地を与えず極刑に処した。
それは、政府に対して不満意識を持つ士族と、まるで独立国の様相を見せる薩摩への見せしめとせんがためであった。
明治七年、政府内の反対を押し切り清国へ渡った大久保は、実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入り、平和的解決の糸口をつかむが、一方で、清との戦闘開始を待ち望んでいた西郷従道率いる三千人の征台部隊の失望と不満は大きかった。
全国的に高まった士族の反乱気分を抑えかねていた政府は、その戦略として前原一誠を頭目とする長州人集団を潰そうとするも、士族の蜂起の方が早かった。
だが、その熊本における士族の蜂起も政府によって直ちに鎮圧される。
しかし、大久保のとった鹿児島県圧迫政策と西郷暗殺の風聞が薩摩の私学校に伝わったことが切っ掛けとなり、ついに西郷らを中心とした士族が、東京を目指して進軍を開始する。
それを迎え撃つべく熊本をめざして南下する政府軍、両者は田原坂で激しい攻防戦を続けたが、多数の兵を失った薩摩軍は、ついに田原坂から撤退する。
各地を転戦の末、やっと鹿児島へ帰った薩摩軍であったが、この機を逃すまいと包囲する七万の政府軍は、鹿児島城裏の城山に篭る西郷ら薩摩軍対し、総攻撃を開始する。

西郷と大久保、どちらも幕末の動乱を駆けぬけ明治維新をなした立役者であるが、どちらも日本の植民地化を危惧する愛国的政治家でした。
しかし、日本を近代国家へと押し上げていく過程において、その舵取り方法の違いが二人の運命を大きく分けることになってしまったように思います。
西郷は、征韓論をめぐる攻防で大久保との直接対決に破れると、政治に情熱を失い東京を去ってしまうが、サムライ意識を捨て去ることのできない士族たちに、最後の戦いの場を与え、武士として死地につかせることを己れの生涯の仕事としたのだろうと感じました。
そして、昔から武士が受け継いできた古き良き日本人としての精神も、近代国家へと移行する過程で消え去ってしまったのかも知れません。

★ 梟の城 (直木賞受賞作品)

梟の城

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幼馴染である二人の忍者の生き様を描いた歴史小説です。

織田信長に一族を惨殺された恨みと、忍者としての生きがいから豊臣秀吉の暗殺をねらう伊賀忍者の葛篭重蔵。
一方、伊賀を売って仕官し、重蔵を捕らえることで出世を目論む幼馴染の風間五平。
彼らが志す男としての生き方は、あまりにも対照的であった。
そして、石川五右衛門という大盗賊の驚くべき正体とは・・。

歴史をひも解く面白さと、忍者が戦国時代にどのような歴史的役割をもった存在であったのかが興味深く描かれています。

★ 義経

義経(上)

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源氏の棟梁の子に生まれながら鞍馬山に預けられ、その後、関東奥羽を転々と暮らした暗い少年時代。
その後、軍事的天才ぶりを発揮し、幾多の輝かしい武功をたて英雄の座に昇りつめるが、政治的に無能であったため、鎌倉幕府の運営に苦慮する頼朝との間に確執が生じ、遂に非業の死をとげた義経の数奇な生涯を描いた作品です。

頼朝は、土地の所有権に新たな価値観を見出し、開墾した土地の所有権を保護する政策を打ち出すが、京都育ちの義経にはまったく理解できない。
こういった頼朝と義経の政治的感覚の違い、価値観の違いが二人の運命を決定づけたと言えます。

★ 空海の風景

空海の風景(上)

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平安の巨人、弘法大師空海の思想と生涯を随筆風に描いた作品です。

四国の生家から唐に渡り、真言第八祖となった空海。
そして、帰国後は時代の移り変わりとともに、その後の政治状況が空海の生き方にも影響を与える。
大陸文明と日本文明の結びつきを達成し、哲学宗教文学教育、医療施薬から土木灌漑建築まで、八面六臀の才能を発揮する。

空海については、伝説的な人物としての認識でしかなかったが、この作品で改めて空海の天才振りを思い知らされた。
昭和五十年度芸術院恩賜賞を受賞。

★ 尻啖え孫市

尻啖え孫市

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本願寺方として信長を最後まで手こずらせた雑賀孫市、その生涯を生き生きと描いた作品です。

鉄砲は神業的な名人だが無類の女好き、日本最大の鉄砲集団を率いる雑賀家御曹司の孫市。
権力に屈することなく、己の魂と鉄砲の力で戦国の世を野太く生きていく姿をユーモアたっぷりに描いています。

★ 国盗り物語

国盗り物語1

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常人とはかけ離れた頭脳で、一介の牢人から美濃一国の大名になるまでの斎藤道三の半生と、その道三の志を引き継いだ織田信長と明智光秀が、お互い相入れない理由から二人が敵対し、本能寺の変を迎えるまでの背景を赤裸々に描いた作品です。

時代は戦国の初頭、妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれた松波庄九郎(道三)は、還俗した後、京の油商屋の莫大な身代を乗っ取った。
そして、精力的かつ緻密な調査によって、美濃の国を「国盗り」の拠点と定める。
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が知恵者である。
気運が来るや、それを掴んでひと息に駆けあがる者を英雄という。
それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、知恵者であり英雄であった。
内紛と侵略に明け暮れる美濃の国には英雄の出現を渇望する気運が満ちていた。
「蝮」の異名にふさわしく、周到、そして執拗に自らの勢力を拡大し、ついに美濃の太守となった。
美濃を征服した斉藤道三は、義理の子である義竜の反乱に倒れるが、自らの天下統一の夢を娘婿の織田信長に託した。
今川義元を奇襲戦法で破った信長は、義父道三の仇を打つべく、美濃を攻略する。
勢い進撃を続ける織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始める。
しかし、比叡山焼き討ちを巡り、断固としてそれを決行しようとする信長とそれに反対する重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。
そして、ついに本能寺の変という悲劇を迎えることになる。

★ 功名が辻

功名が辻1

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凡庸で、律儀のみが取り柄の夫・山内一豊と、美しく聡明で才智溢れる妻・千代、戦国の世を二人三脚で功名をたて、ついには土佐一国の大名にまで駆け上がった一豊と千代の生涯を描いた作品です。

織田信長の家臣の中に、伊右衛門一豊という、うだつの上らない武士がいた。
その彼が、賢くて美しい千代を嫁にもらったことから、夫婦二人三脚の功名取りが始まる。
後に木下藤吉郎秀吉の配下となった一豊であったが、なかなか出世できずにいた。
そしてある日、信長が本能寺の変で殺されると、いち早く遠征先から駆けつけ、敵討ちを果たした秀吉が天下を取る。その秀吉のもと、一豊は二万石の大名となった。
しかし、絢爛たる栄華を誇っていた豊臣秀吉の天下も、老齢とともに傾き始める。
そしてついに関ヶ原の決戦、山内家の存亡を家康に託し徳川方についた一豊は、戦後の行賞でなんと土佐一国を拝領することになった。

★ 関ヶ原

関ヶ原(上)

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「天下分け目の戦い」と言われる関ヶ原の戦い、決戦に臨む戦国武将たちの人間像とその盛衰を描いた作品です。

秀吉の死とともに傾き始めた豊臣政権。秀吉の最信任を獲得し、主君の遺命を堅守しようとする三成であったが、戦場一途の名立たる武将たちは人望も気配りもない彼を憎み追放しようとする。
一方、周到な謀略によって豊臣家を乗っ取ろうとする家康は、次々と反三成派を篭絡し、ついには、秀頼の命を奉ずる諸将を一挙に徳川方へと寝返らせてしまう。
三成はどう戦うのか。老獪、緻密と言われた家康の策謀は、三成の率いる西軍の陣営をどのように崩壊させるのか。

★ 新史太閤記

新史太閤記(上)

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百姓の子から出世して、最後には天下統一を果たした豊臣秀吉の生涯を描いた作品です。

貧しい幼少期を経て、信長の下でその天性の能力を発揮し織田家第一の武将へと出世していく。
毛利攻めの途中に本能寺の変で信長が倒れると、大急ぎで引き返し主君信長の敵を討った秀吉は、代わって天下を取る。

★ 夏草の賦

夏草の賦(上)

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四国全土を統一した長曾我部元親の生涯を描いた作品です。

戦国時代、土佐の片田舎でわずか一郡の領主でしかなかった若者、長曽我部元親。
権謀術数を駆使し、四国全土を征服、そして天下を目指そうとするが、秀吉に土佐一国に押し込められる。
その後の島津遠征での戦い、息子信親の死、彼は次第に情熱を失って行った。

★ 城塞

城塞(上)

おすすめ度


秀吉亡き後の豊臣家の崩壊を、大坂城を舞台に、その落城から滅亡までを克明に描いた作品です。

大坂冬の陣、夏の陣をテーマにしたもので、豊臣家の武将達と家康との政治的駆け引きや合戦の激しさなど、その臨場感がひしひしと伝わってきます。

★ 覇王の家

覇王の家(上)

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三河松平家の後継ぎとして生まれた家康が、今川家の人質として過ごした幼少期から、小牧・長久手で秀吉と戦い、徳川三百年の歴史の礎を築くまでを描いた作品です。

★ 播磨灘物語

播磨灘物語1

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戦国時代末期の異才・黒田官兵衛の生涯を描いた作品です。

官兵衛を信長に取り次いでくれたのは、信長の家臣・荒木村重であった。
その荒木が謀反を起こし毛利方についた。
翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛であったが、説得に失敗し牢獄に幽閉されてしまう。
信長は官兵衛も裏切ったと錯覚し、子の松寿丸を殺せと命じる。
竹中半兵衛の知恵で松寿丸は助かるが、官兵衛が牢を出た時、竹中半兵衛は既に病死していた。
そして、本能寺の変で信長が殺されると、その仇を討った秀吉は、その二年後に天下統一を果たす。
自分の天下構想を秀吉に託していた官兵衛は、その後髪をおろして隠居する。

★ 北斗の人

北斗の人

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北辰一刀流開祖、千葉周作が自らの流派を広めていく姿を描いた作品です。

剣の道を極めるため一切の妥協を許さず、自ら研究を重ねて立ち上げた北辰一刀流。天賦の才で剣豪として名を馳せ、流派を開き広めていく。

★ 菜の花の沖

菜の花の沖1

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江戸時代の後期、淡路島の貧しい家庭に生まれながら、偉大な商人に成長していく高田屋嘉兵衛の生き様を描いた作品です。

悲惨な境遇から船頭として身を起した高田屋嘉兵衛は、ついには北辺の蝦夷・千島の海で商人として活躍するようになった。
その頃幕府は、北辺の防備を固めるべく、嘉兵衛に北方航路の開拓を委ねる。
一方、ロシアは、日本に食糧の供給を求めるが、幕府が交易を拒絶したことから、その報復が始まる。
そしてついに、突然の災厄が嘉兵衛を襲う。なんと、彼自身がロシア船に囚われ、遠くカムチャツカに拉致されてしまった。
だが嘉兵衛はこの苦境にある状況の中で、ロシアと日本の関係を独力で修復しようと決意する。

★ 竜馬がゆく

竜馬がゆく1

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薩長同盟を成立させ、そして大政奉還の立役者となった坂本竜馬の劇的な生涯を描いた作品です。

土佐郷士の次男坊として生まれた坂本竜馬は、藩ぐるみ勤王化しようとする土佐藩に限界を感じ脱藩する。
浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。
彼との出会いにより、日本は開国し、海外と交易する必要性を感じ、そのためには幕府を倒さなければならないと考えるようになる。
幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であると考えた竜馬は、決死の奔走によって、反目しあっていた薩長の同盟を成立させる。
その後、この薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に、竜馬は無血革命で大政を奉還させるという奇策を主張する。
そしてついに、大政奉還の実現で三百年近い徳川政権は幕を閉じたが、維新前に竜馬は暗殺される。

★ 坂の上の雲

坂の上の雲1

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日本騎兵の生みの親といわれた秋山好古と、その弟で日本海軍の頭脳的存在であった秋山真之、そして同じ松山出身の歌人・正岡子規の三人を中心に、維新から日露戦争の勝利に至る明治の日本を描いた作品です。

同じ松山出身で友人の正岡子規は、病の床で数々の偉業をなしたが、南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威の足音を聞きつつ燃え尽きるように逝ってしまった。
そしてついに、戦費もろくに調達できない日本は、豊富な兵力を持つロシアに戦いを挑んだ。
陸軍少佐の秋山好古の属する第二軍は、遼東半島に上陸した直後から苦戦の連続であった。
また、連合艦隊の参謀・海軍少尉である弟真之も堅い砲台群に囲まれた旅順港に潜む敵艦隊に苦戦を重ねていた。
さらに、強靱な旅順要塞の攻撃を担当した第三軍にあっても、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流し続けた。
その後、巨大な砲台を山の上に移動させる作戦が効を奏して旅順は陥落したが、兵力の消耗は日々深刻であった。
各地の会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。
乏しい兵力をかき集め、日本軍は捨て身の大攻勢に転じたが、逆襲に遭い、包囲網も処々で寸断され、敗走するという苦況に陥った。
その頃日本海では、ロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。
東郷平八郎率いる日本海軍は、一糸乱れず艦隊運動と正確無比な砲術で、かつてなかったと言うほどの勝利を収める。






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